アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
2005年6月19日 読了本
ISBN:4150102295 1977/03 ¥672
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
DO ANDROIDS DREAM OF ELECTRIC SHEEP?
著:フィリップ・K・ディック Philip K. Dick
訳:浅倉 久志
ハヤカワ文庫SF(早川書房)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥(あらすじ引用ここから〜)
長く続いた戦争のため、放射能灰に汚染され廃墟と化した地球。生き残ったものの中には異星に安住の地を求めるものも多い。そのため異星での植民計画が重要視されるが、過酷で危険を伴う労働は、もっぱらアンドロイドを用いて行われている。また、多くの生物が絶滅し稀少なため、生物を所有することが一種のステータスとなっている。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥(ここまで引用そのまま)
人間とほとんど変わらず合成されたアンドロイドと
人間を区別するものは何か。
最後まで、読んでいる私には
はっきりとした答えが見つかりませんでした。
今もぼんやり考えてます。
ぞっとする、気持ち悪かった場面。
最初に挙げた問いを頭の隅っこにずっと置いたまま
ずっと読み進めてきて、あのアンドロイドたちが
蜘蛛の足を切り落としていくところ。
普段、ちっこい羽虫が家に入ってきたら、
当たり前のように駆除しているのに、
この場面ではイジドアの気持ちと重なるように
やめて欲しいと思った。
と同時に、アンドロイドではなくて、
彼らのような人間は現実にいることを考えた。
興味から、好奇心から、自分の考えを試すため。
相手の痛みや苦しみを想像できないから、
思いやることができない、共感できないから。
それなら、人間にもたくさんいると思う。
また、相手の痛みを想像できるからこそ
わざわざ苦しめることを楽しむ人間もいる。
それをも模倣する頭脳を持つようになるなら、
生殖や代謝の問題を抜かして、人間と
アンドロイドの区別は、この物語世界では
ほとんど出来ないだろう。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
アンドロイドが火星から人間を殺して逃げてきた、
それを賞金稼ぎが追う、という設定からは
追うもの、追われるものの活劇を想像させた。
アンドロイドも、精巧に出来ているものの、
頭部をふっ飛ばせば、機械の部品が剥きだしになり
パチパチとショートするようなイメージを抱いてた。
(古い・・?)
じゃなかったら攻殻の義体のような。
全然違いました。
この物語では、見た目も破壊された死体からも
推測できないという。有機的に判定するのは骨髄検査。
ならば擬似血液や内臓もある合成人間ということになる。
涙を流し、食べることもできる。
効果が怪しい(?)フォークト・カンプフ検査法は
質問に対する反応を眼筋と毛細血管で測定する。
様々な社会状況における感情移入反応。
その質問内容は読んでいる側からすると滑稽にも思える。
だが、動物を飼わない人間が不道徳で同情心が無いと思われる
社会においては、人間以外の生物にも共感をもって然るべきだと。
歩合給のサラリーマンであるハンターが、
こつこつアンドロイドを殺して、どうしても手に入れたいものが
「生きた本物の動物」というのは、物哀しい。
絶滅寸前の動物としての人類としても、
社会生活のなかでステイタスを必要としていることも。
レプリカを用意してまで周囲を欺く行為はいじましい。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
持っている版は1994年32刷。560円。
10年で文庫本も百円以上価格が上がるんだなあ〜。
初版は1977年3月15日とある。
映画『ブレードランナー』はテレビ放映時に
何度か眼にしたくらいで、最初から最後まで通して
観たことはないため、比較の楽しみは今回なし。
でも観ないで読んで良かったと思う。
テレビでちらっと観たときのイメージとは
物語はかなり違っていた。くらいで。
ハリソン・フォードが出てたよなあ〜、
主人公のデッカードさんは彼が演じたのかな。
・・・と思ったら、頭に浮かぶデッカードは
ハリソン君になってしまって(イメージを)
追い払うのに苦慮。どんな場面でもふわふわと漂い、
結局最後まで彼のイメージで読むこととなった。
修行が足りない・・・。(何の)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
子供の頃、姉のたくさんのハヤカワSF文庫のなかに
この本のタイトルがあったような気がします。
清原なつのさんの「アンドロイドは電気毛布の夢を見るか?」
というパロディタイトルで思い出して、
元ネタを読んでみようと思ったのが買ったきっかけ。
古本屋で見つけたんだと思う。
積読暦7〜8年か。
ことにファンタジーとSFの分野においては
特定だと思われる読者層の多くに好評、
また、一部に権威を発揮する賞などで挙げられる作品は、
だいたいの場合、私にとって「アタリ」が多いのです。
とは言ってもそんなに作品数を読んでいるわけでなし。
しかし、何度もそんなことがあるうちに、
「この賞をもらっているなら、かなり期待できそう」から、
読後は「やっぱり(ああいう)支持を得るだけあるな!」と
思い込みやすいのも確かです。
ただ読んでいる最中は没頭していて、賞だの何だのは
あまり関係ありません。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
DO ANDROIDS DREAM OF ELECTRIC SHEEP?
著:フィリップ・K・ディック Philip K. Dick
訳:浅倉 久志
ハヤカワ文庫SF(早川書房)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥(あらすじ引用ここから〜)
長く続いた戦争のため、放射能灰に汚染され廃墟と化した地球。生き残ったものの中には異星に安住の地を求めるものも多い。そのため異星での植民計画が重要視されるが、過酷で危険を伴う労働は、もっぱらアンドロイドを用いて行われている。また、多くの生物が絶滅し稀少なため、生物を所有することが一種のステータスとなっている。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥(ここまで引用そのまま)
人間とほとんど変わらず合成されたアンドロイドと
人間を区別するものは何か。
最後まで、読んでいる私には
はっきりとした答えが見つかりませんでした。
今もぼんやり考えてます。
ぞっとする、気持ち悪かった場面。
最初に挙げた問いを頭の隅っこにずっと置いたまま
ずっと読み進めてきて、あのアンドロイドたちが
蜘蛛の足を切り落としていくところ。
普段、ちっこい羽虫が家に入ってきたら、
当たり前のように駆除しているのに、
この場面ではイジドアの気持ちと重なるように
やめて欲しいと思った。
と同時に、アンドロイドではなくて、
彼らのような人間は現実にいることを考えた。
興味から、好奇心から、自分の考えを試すため。
相手の痛みや苦しみを想像できないから、
思いやることができない、共感できないから。
それなら、人間にもたくさんいると思う。
また、相手の痛みを想像できるからこそ
わざわざ苦しめることを楽しむ人間もいる。
それをも模倣する頭脳を持つようになるなら、
生殖や代謝の問題を抜かして、人間と
アンドロイドの区別は、この物語世界では
ほとんど出来ないだろう。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
アンドロイドが火星から人間を殺して逃げてきた、
それを賞金稼ぎが追う、という設定からは
追うもの、追われるものの活劇を想像させた。
アンドロイドも、精巧に出来ているものの、
頭部をふっ飛ばせば、機械の部品が剥きだしになり
パチパチとショートするようなイメージを抱いてた。
(古い・・?)
じゃなかったら攻殻の義体のような。
全然違いました。
この物語では、見た目も破壊された死体からも
推測できないという。有機的に判定するのは骨髄検査。
ならば擬似血液や内臓もある合成人間ということになる。
涙を流し、食べることもできる。
効果が怪しい(?)フォークト・カンプフ検査法は
質問に対する反応を眼筋と毛細血管で測定する。
様々な社会状況における感情移入反応。
その質問内容は読んでいる側からすると滑稽にも思える。
だが、動物を飼わない人間が不道徳で同情心が無いと思われる
社会においては、人間以外の生物にも共感をもって然るべきだと。
歩合給のサラリーマンであるハンターが、
こつこつアンドロイドを殺して、どうしても手に入れたいものが
「生きた本物の動物」というのは、物哀しい。
絶滅寸前の動物としての人類としても、
社会生活のなかでステイタスを必要としていることも。
レプリカを用意してまで周囲を欺く行為はいじましい。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
持っている版は1994年32刷。560円。
10年で文庫本も百円以上価格が上がるんだなあ〜。
初版は1977年3月15日とある。
映画『ブレードランナー』はテレビ放映時に
何度か眼にしたくらいで、最初から最後まで通して
観たことはないため、比較の楽しみは今回なし。
でも観ないで読んで良かったと思う。
テレビでちらっと観たときのイメージとは
物語はかなり違っていた。くらいで。
ハリソン・フォードが出てたよなあ〜、
主人公のデッカードさんは彼が演じたのかな。
・・・と思ったら、頭に浮かぶデッカードは
ハリソン君になってしまって(イメージを)
追い払うのに苦慮。どんな場面でもふわふわと漂い、
結局最後まで彼のイメージで読むこととなった。
修行が足りない・・・。(何の)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
子供の頃、姉のたくさんのハヤカワSF文庫のなかに
この本のタイトルがあったような気がします。
清原なつのさんの「アンドロイドは電気毛布の夢を見るか?」
というパロディタイトルで思い出して、
元ネタを読んでみようと思ったのが買ったきっかけ。
古本屋で見つけたんだと思う。
積読暦7〜8年か。
ことにファンタジーとSFの分野においては
特定だと思われる読者層の多くに好評、
また、一部に権威を発揮する賞などで挙げられる作品は、
だいたいの場合、私にとって「アタリ」が多いのです。
とは言ってもそんなに作品数を読んでいるわけでなし。
しかし、何度もそんなことがあるうちに、
「この賞をもらっているなら、かなり期待できそう」から、
読後は「やっぱり(ああいう)支持を得るだけあるな!」と
思い込みやすいのも確かです。
ただ読んでいる最中は没頭していて、賞だの何だのは
あまり関係ありません。
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