魔女裁判―魔術と民衆のドイツ史
2004年5月20日 読了本
ISBN:4642055029 単行本(ソフトカバー) 2000/08 ¥1,785
「魔女裁判 魔術と民衆のドイツ史」
著:牟田 和男
吉川弘文館 歴史文化ライブラリー
------------------------------------
等身大の魔女−プロローグ
「魔女」というイメージ
魔女犯罪の中身
初期の魔女裁判
大迫害時代
近世の刑事司法
学識法曹とドイツの魔女裁判
下からの魔女狩り
儀礼化された闘争
なぜ女性なのか
魔女迫害の論理と心理
女性の犯罪
裁かれる者にとっての悪魔
現代の「魔女狩り」
呪術師と批判者
怪しげな文献
魔法使いから魔女へ−エピローグ
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楽しい物語本などしばらく読んで、ちょっと
気持ちが和らいだところで、再び欧州史へ。
先日読んだジェンダーからの魔女狩り本を読んで
かなり偏ったイメージが執拗に頭に残ってるため
別の視点から描かれた本を探してみた。
これは16−17世紀ドイツの魔女狩りに絞ってある。
それと、当時の法律や裁判の仕組みについて
詳しく書いてあった。
この本でより見えてくるのは、けして全ての魔女裁判が
「手順」をすっとばしてむやみに処刑をしていたわけじゃないこと。
当時の人は理性的に(それなりに)法を遵守しており
「魔女を狩る」という言葉からイメージされる
集団ヒステリーの様子は思ったほど感じられない。
なるほど、「なぜ女性だったのか」ということには
性差別の点から特に掘り下げて追求されていなかった。
『魔女狩りは男による女の迫害だったのだという
見解を支持する人は案外今でも多いようである』
(プロローグより抜粋)
とあるが、著者の見解からは、同意しているとは
あまり思えなかった。
共通してわかるのは、父権社会において
男性の庇護者がいない女性の立場の弱さと
民間に伝わる不可思議な「迷信」の多さ。
共同体で暮らすことの難しさ。
物知りおばあちゃん(賢女)のおまじないが
毒にも薬にもなったこと。
天気が悪くて作物がダメになった、
病が流行った、健康を害した、
家畜の調子が悪い・・・
マイナスの要素すべて、何か、誰かに
責任を転嫁しないといられない心理。
細かく書いていくとそれこそ引用ばかりの
魔女狩り(裁判)本比較研究みたいになってくるなぁ。
この本の冒頭と、そしてエピローグにあるように
「魔女」と「魔女裁判」の実像を掴むのは困難らしい。
欧州、または世界に魔女裁判の未発掘の史料は
まだ無数にあると考えるなら、現在わかっているだけの
裁判記録や、その数、告発された、あるいは裁かれた人数などを
上げて、この地域ではこうだ、とか一番ひどかった時代の傾向を
決定付けることは、ナンセンスであると著者は書く。
ある意味、それはすべての歴史的事柄に通じることだと思う。
ただ、まだ遙かに途上の研究テーマであることは確か。
この本も、そして先日読んだ本も、ほとんど
今までに世に出た「二次的文献」からの推測である。
最後にスイスで魔女が処刑されてから200年以上過ぎても民間ではついこの間まで魔女の疑いをかけられ迫害された人々がいたという。1950年代にドイツで起こった魔女事件についても書かれていた。驚きもあるが、何となくあり得そうと思ったり。
このテーマに関する人々の関心は、例えばフランス革命後に
正確にはどれだけの人が公正な裁判の結果によらず
ギロチンの露と消えたか、ということよりも集まりやすい。
「魔女」という日本語じたいがあまりにも幻想的だからか。
オカルト本からマジメな研究書、センセーショナルな部分にだけ焦点をあてた趣味の悪いもの、興味本位のものまで、文献はそれこそ山のようにありそうだが、しばらく魔女狩り本は読まないでおこう。読めば読むほど落ち込みそう。
「魔女裁判 魔術と民衆のドイツ史」
著:牟田 和男
吉川弘文館 歴史文化ライブラリー
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等身大の魔女−プロローグ
「魔女」というイメージ
魔女犯罪の中身
初期の魔女裁判
大迫害時代
近世の刑事司法
学識法曹とドイツの魔女裁判
下からの魔女狩り
儀礼化された闘争
なぜ女性なのか
魔女迫害の論理と心理
女性の犯罪
裁かれる者にとっての悪魔
現代の「魔女狩り」
呪術師と批判者
怪しげな文献
魔法使いから魔女へ−エピローグ
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楽しい物語本などしばらく読んで、ちょっと
気持ちが和らいだところで、再び欧州史へ。
先日読んだジェンダーからの魔女狩り本を読んで
かなり偏ったイメージが執拗に頭に残ってるため
別の視点から描かれた本を探してみた。
これは16−17世紀ドイツの魔女狩りに絞ってある。
それと、当時の法律や裁判の仕組みについて
詳しく書いてあった。
この本でより見えてくるのは、けして全ての魔女裁判が
「手順」をすっとばしてむやみに処刑をしていたわけじゃないこと。
当時の人は理性的に(それなりに)法を遵守しており
「魔女を狩る」という言葉からイメージされる
集団ヒステリーの様子は思ったほど感じられない。
なるほど、「なぜ女性だったのか」ということには
性差別の点から特に掘り下げて追求されていなかった。
『魔女狩りは男による女の迫害だったのだという
見解を支持する人は案外今でも多いようである』
(プロローグより抜粋)
とあるが、著者の見解からは、同意しているとは
あまり思えなかった。
共通してわかるのは、父権社会において
男性の庇護者がいない女性の立場の弱さと
民間に伝わる不可思議な「迷信」の多さ。
共同体で暮らすことの難しさ。
物知りおばあちゃん(賢女)のおまじないが
毒にも薬にもなったこと。
天気が悪くて作物がダメになった、
病が流行った、健康を害した、
家畜の調子が悪い・・・
マイナスの要素すべて、何か、誰かに
責任を転嫁しないといられない心理。
細かく書いていくとそれこそ引用ばかりの
魔女狩り(裁判)本比較研究みたいになってくるなぁ。
この本の冒頭と、そしてエピローグにあるように
「魔女」と「魔女裁判」の実像を掴むのは困難らしい。
欧州、または世界に魔女裁判の未発掘の史料は
まだ無数にあると考えるなら、現在わかっているだけの
裁判記録や、その数、告発された、あるいは裁かれた人数などを
上げて、この地域ではこうだ、とか一番ひどかった時代の傾向を
決定付けることは、ナンセンスであると著者は書く。
ある意味、それはすべての歴史的事柄に通じることだと思う。
ただ、まだ遙かに途上の研究テーマであることは確か。
この本も、そして先日読んだ本も、ほとんど
今までに世に出た「二次的文献」からの推測である。
最後にスイスで魔女が処刑されてから200年以上過ぎても民間ではついこの間まで魔女の疑いをかけられ迫害された人々がいたという。1950年代にドイツで起こった魔女事件についても書かれていた。驚きもあるが、何となくあり得そうと思ったり。
このテーマに関する人々の関心は、例えばフランス革命後に
正確にはどれだけの人が公正な裁判の結果によらず
ギロチンの露と消えたか、ということよりも集まりやすい。
「魔女」という日本語じたいがあまりにも幻想的だからか。
オカルト本からマジメな研究書、センセーショナルな部分にだけ焦点をあてた趣味の悪いもの、興味本位のものまで、文献はそれこそ山のようにありそうだが、しばらく魔女狩り本は読まないでおこう。読めば読むほど落ち込みそう。
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